弐段受験課題

 有段者の心得

仙川道場 山下 仁司


 数年前に初段を認可頂いてまず第一に思った事は、これでやっと合気道の修行のスタートラインに立った、という事であった。
 それまでの稽古では、合気道の基本的な型を身につけることがほとんどであり、それは例えて言えば自動車教習所で、教習所の中での運転練習をしていた事に相当する。
 初段を認可いただいたということは、やっと路上教習ができるというレベルに達したに過ぎない、という事であろうと思った。

どのような武道でも同じであると思われるが、技のみに熟達することはまだ「武術」の域を超えない。
 合気道は「和の武道である」*と言われる通り、心技体、とりわけ心の修錬が伴わなくてはならない武道である。
 技の練習を通して、自分の心が常に平穏である事、自惚れないようにする事、相手を傷つけないようにする事、調和を尊びつつ、常に自らを向上させるように心がけることが重要である。
 段位を頂くという事は、そのように心も磨く修行の段階に入ったのだという自覚を持つべきであろう。

 さらに、合気道における有段者になったという事は、自らの心を磨くという私事だけに留まらず、合気道という武道そのものにも責任を持つ立場になったのだと考える。
 合気道を修める者として、自らの言動を通して、決して合気道を貶めるようなことなく、合気道の社会からの評価をより高める責任を負う事になったのだという自覚を持つ必要がある。
 勿論無理な宣伝活動を行うという意味ではないが、まず、自らの日頃の言動の品位を保つ事は重要である。
 また、合気道を修めている事が周囲に知られたときに、「流石に合気道を習っているだけの事はある」と思われるような言動、気配り、身のこなしをする必要がある。
 さらに、道場においては、師範の教えを素直に受け入れて自分が修行に励むだけでなく、同輩に対してもできる限りの尊敬と至誠の気持ちを持って接し、互いに切磋琢磨するべきである。
 とりわけ、自分よりも稽古が浅い人達に対しては、自分がどのように学び稽古をしてきたかを伝え、少しでもその人たちの早い上達を支援する責務を負う。

 ここまで、有段者の心構えや姿勢について述べてきたが、最後に、技そのものについても述べておきたい。
 当たり前の事であるが、合気道では「型」が出来るだけでその技が相手に実際に効かなくては無意味である。
 技が効くとは、相手を崩し、自分の重心はぶれず、本当に極めるところは極まることであろうが、今の自分は未熟で全くその域には達していないという自覚がある。
 そのため、想像で述べるしかないが、心技体が充実しているということは、自分の体が無意識に動いて自分でもどうして極まっているかを他者に説明し難いくらいに
 自然に動いて技が極まるような状態になるということであろう。今後も楽しく稽古を行う中で、少しでもそのような境地に近づけるよう修行していきたいと考える。
 以上が私の考える有段者の心得である。

* 参考文献:植芝吉祥丸『改訂 合気道独習教本』東京書店