2022.03.20

「有段者の心得」

毛利 太郎

 

 有段者は、私にとって非常に格好の良い憧れの者である。現在私はその憧れになろうとしている。高揚感があると共にその重責を感じている。世間から周知のとおり黒帯は、その武道においての上級者を示すものであり、初段取得時から「合気道」の名を背負う一端を担うこととなると考えている。

 現在私は大学で合気道部に属している。そしてこれからたくさんの後輩が入部してくるだろう。先輩として評価・羨望されるであろう。また、黒帯という立場は、同じく、時に羨望の眼差しで、また時には評価の眼差しで見られることとなる。その際有段者であるという責任が圧し掛かってくる。先輩として後輩を導いてあげ、さらに有段者として初心者を導いてあげるには、技の熟練度のみならず、精神面での熟練度も大切となってくる。武道においては、その修練は技にとどまらず、精神面、つまり心の修練も重要なものとなる。真摯に合気道に向き合い、真面目に稽古を行い、技を磨くと共に人としての在り方や、忍耐力などと言った精神を鍛えていく。その先に達人と呼ばれる領域があると信じている。

今まで私は技を上手くなるということだけを念頭に置いてきた。その技も力任せなお粗末なものである。力が入る原因として、精神が鍛えられていないことが一番に挙げられる。相手を倒そうという負の感情が出てしまっているのだ。愛をもって相手を非武装化する、根本から相手の対抗心を砕くということが合気道であると考えているが現状それができていないと自覚している。

私は、初段とはこの精神面を鍛える修練の始まりと捉えている。本格的な修練のスタート地点に立ち、有段者として、さらには部の先輩として、「心技体」を鍛えることを念頭に置いて稽古に臨んでいく所存だ。

 

以上が私の考える「有段者の心得」である。